写真は、ゴミ箱に入れたかっぱえびせんの空き袋。
普通は、この時点で、あるいはゴミ袋を集積所に運んだ時点で、もうゴミのことは忘れる。そこから先、ゴミが具体的にどこをどう運ばれていくかについては別に気にしないし、あまり知ろうとも思わない。
でも、たまにはゴミの気持ちになって、このかっぱえびせんの辿る道を具体的に追跡してみるのも面白いんじゃないかと思った。
お産をするための牛舎に、最近生まれたばかりの仔牛とその母親がいた。
生後しばらくの間、親の乳を飲むことによって親からの免疫が得られるらしい。
最近の飼料には免疫グロブリンという抗体の成分が含まれているため、これだけで十分だと考える人もいるそうだ。「でも病気になる仔もいる。やはり母親の初乳にまさるものはない」と宮沢さんは言う。
帰り際に、ここで生まれた最初の牛を見せて頂いた。
ペコちゃんという1才半のメスで、名前は前歯が欠けていたからだそうだ。肉牛は普通2才半で出荷されるので、手塩にかけたペコちゃんともあと1年でお別れということになる。
とはいえ、それまでのあいだ宮沢さんには何の売上も入らず、経費だけが掛かるのだ。彼女がどれだけいい牛に仕上がり、高く買ってもらえるかはとても重要だ。
宮沢さんに厚くお礼を申し上げてお別れをしようとしたところ、遠いからと最寄の高速バス乗り場まで車でお送り頂いてしまった。
最後まで本当にお世話になりました。
いよいよ最終目的地である埋立の現場にやってきた。
粉砕されて小さくなっているとはいえ、それなりに大きなゴミがはるかかなたまで敷きつめられている。 かっぱえびせんの空き袋もこの中のどこかにあるんだろう。
なお、ここに露出しているゴミはぜんぶ燃えないゴミで、燃えるゴミはもうちょっと離れた場所に焼却灰の形で埋められているようだ。
もっとカラスやカモメがギャアギャア舞っているかと思ってたんだけど、さすがに焼却灰を食べるわけにもいかないようで、最近はほとんど姿を見せないらしい。
ちなみに、ここの埋立地の寿命はあと5年ほどしかない。そこで、埋立地の南側には新海面処分場という新しい処分場が作られつつある。
一部は既にゴミの埋立が始まっていて、全体の寿命は30年ほどとのこと。
広い東京湾とはいえ、そのうち東京都が使える部分はもう使い尽くしてしまったそうで、30年後にゴミをどこに持っていくかについてはまだ未定らしい。
まあ確かに、そんな未来のことはその時考えればいいよ、という気はする。
ところで、かっぱえびせんの袋はポリプロピレンというプラスチックでできているので、本来ならリサイクルできるはずだけれど、千代田区では今のところ分別回収するという制度はないみたい。
というわけで私はキコキコと自転車を鳴らしてお家に帰るのでありました。